毎日様々に移りゆく心。少しづつ、日記にしたためていこうと思います。 これからの日々、私と一緒にいかがですか?



   
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なお

Author:なお
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雨にも負けず 風にも負けず
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曇る日も こっそり隠れて日差しを届ける。
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セピア色の故郷②

   
幼なじみのさっちゃんは年の離れた兄弟の末っ子でした。
しっかり者のさっちゃんにいつも私は「オンブに抱っこ」の我儘娘でした。鼻っ柱ばかりが強くて臆病者の私はいつまでも自転車に乗れず、でも中学校は自宅から少し距離があったので、自転車通学をしなければなりません。
そこで、さっちゃん指導の下 私は一大決心をして練習をするようになりました。

小学校を卒業し、春休み。その校庭を借りての猛特訓。
まず、さっちゃんは小さめの自転車から始めようと、自分のお下がりを貸してくれました。
「ペダルに左足を掛けて自転車を始動させ、それからサドルへ乗る」というのがなかなか出来ない私。
先に「自転車にまたがって、右足でペダルを漕いでサドルに乗る」ということを試みました。
サドルに乗れてもすぐに 「バタッ」と倒れます。
何度か挑戦し、数メートルを走った時には周りで応援してくれていた友達も大拍手でした。

昔は大柄な体格だった私。そんな私が自分より小柄なさっちゃんにはいつも こんな風にお世話されていたのです。

さっちゃんは高校に進学せず(その頃はまだ進学率が低かったのです)関西へ就職していきました。
さっちゃんと会えるのは「盆」「正月」の時期だけでした。
私は「手紙」とか大好き少女だったので「文通」をしたかったのだけど、さっちゃんはそういうのは好きではないらしく、さっちゃんからの「手紙」は受け取った事はありませんでした。

結婚は同じ時期にして、子供も長男が同い年でした。
お互いの子供を連れて実家で子供や家族の事を語らうのが何よりの楽しみになっていました。

さっちゃんはまだ30歳をやっと越えた頃、突然亡くなりました。
入院してわずか、ひと月後の事でした。もう治療が出来ない程、病気は進行していたのです。
私がその連絡を受けたのは故郷を離れてすぐの事でした。

受話器を握り締めたまま、声も出せず ただ涙を流すことしか出来ませんでした。

今、さっちゃんは故郷の小高い墓地で安らかに眠っています。
子供の成長を見守ることなく旅立って逝ったさっちゃん
保育園に手をつないで通ったさっちゃん
ランドセルが重くて転びそうになりながらかけっこしたさっちゃん
穏やかな春の午後、自転車を後ろからしっかりと支えてくれていたさっちゃん

故郷を思い出す時、必ず貴女の顔が浮かびます。
いえなかった言葉…。

いつも「ありがとう」

私は あの頃のように、未だに誰かに頼って生きているようです。
でも 昨日は今年初の大喧嘩…子供を巻き添えにしてしまいました…。

何気に過ごして大切な事を見失ってしまいがちな日常。でもさっちゃん、貴女にはそれができなかったのよね…。
些細な幸せを愛おしく、さり気なく小さな小箱に入れて微笑む…。そんな他愛もない事さえ貴女には許されなかった。

貴女の墓前に行くと私は必ず泣いてしまうから いつも行けないでいます。ごめんね。写真も見られない。涙で曇るから…。

今は「国道」と「港」に変わってしまった故郷の砂浜…春には「潮干狩り」に連れ立って行ったよね。でもドジな私はいつも切り立った石ころで足を切って途中で泣きながら家に帰って行った事しか覚えていません。なんでも器用にこなしていたさっちゃんを羨ましく見ていたんだよ。

今度こそ、お墓まいりに行くからね。そして こんな私が「半世紀」も生きてるよ、って小さくなりながら…報告するから…。

| comments(9) | - | page top |
大切な人が
大切な人を亡くすのは、本当につらいことですよね。お墓参りに行けない気持ち、わかります。
でもいつも心の中で思い出してあげることこそ、何よりの供養になるのだと思っています。思い出をよみがえらせて、偲んでみることが・・・
でも今度はおまいりにいけるといいですね。そして元気な顔を見せて報告できますように・・・
・・・・
 私にも、幼い子供を残して逝ってしまった友人がいます。勉強もできて 誰にでも優しくて頼りになる友人でした。病気というのは残酷です・・・笑い転げた思い出や、喧嘩した思い出を、突然プッツンと切ってしまって。
 命 に感謝してしっかり生きていきたいね・・・でも、私も頼りっぱなしの、まかせっきりの人生だ。 
まだ…
友人が亡くなる…という経験はしたことが無いですが…。
私は、2人の父を亡くしてます。(実の父とダーの父)
大切に思っている人が、居なくなることは悲しいことですよね。
なんだか、ぽっかりと穴が空いたような気がして…淋しい。
いつか、墓前でにこやかに思い出話が出来るようになればいいですね♪
ありがとう
最初 悲しくて淋しくて・・・また怖い思いを同時に経験しました。だから これ以上 怖いものはないと思う・・・と思った程 辛かった。 
そして以前にもお話ししましたが 3年前に稲垣さんファンだった友人の一人が乳癌で約2年半の闘病の末 35才の若さで亡くなりました。彼女は最後まで二人の子の為に頑張っていました。いつも笑顔で明るく・・・健康で元気なPONPAが逆に励まされていました。
ありがとう
最初の文が抜けている・・・ ごめんなさい!
以下の文に続いています・・・

もう会えなくなった大事な人に言える言葉・・・
時間がたって やっと「ありがとう」と他界した父と友人に語りかけられるようになりました。時間が必要です。しんぺいちゃんも さっちゃんと いっぱい素敵な思い出があるのですね!
父の死は
れいんさん>
そうなんですよね。「心の中で思い出す事」は大事です。慌ただしい日々の中で、ふっと息をした時浮かんでくる亡くなった人達…成人式前に亡くなった友人もいてね、彼らの顔を思い出すと未だに涙が溢れてきます。でも悲しんでばかりいないで、「ずっと友達だよ!」って笑顔で語りかけてあげるのが一番のご供養ですよね。
ぼいじゃ~さん>
子供を残して逝く事は本当に無念でしたでしょう。その子供が小さければ小さいほど「母親」の記憶が残っていないのだから…。自分の生み出した生命が一段落するまで見届けたいと思うのは「母親」であれば誰もが願う事ですものね。
本当に「命」に感謝しなければいけませんね。そして大切にしたいです。

なくる♪はん>
どちらのお父様もお亡くなりになってるんですね。私の主人の父は主人が小学生の頃に事故でなくなってるんです。私の実父はさ来年七回忌になるのかな?主人は兄二人とも亡くしてるので肉親の死を幼い頃から見てきてどんなに悲しんだか…。主人の母は今年三回忌を迎えます。墓前で自分達の元気な姿を見せてあげなければいけませんね。

PONPAさん>
大好きなお父様が亡くなられた時のお気持ち、またご友人が亡くなられた時のお気持ち、本当に無念でしたね。悲しみを乗り越える時間は必要ですね。悲しんでばかりもいられない、自分がその人達の分もしっかりと生きていかなければならない。私の尊敬する先生は「生きて生きて生き抜くんだ!」と力強く私達への指針を示して下さっています!強く生きて、亡くなった人達が安心して見守ってくれる。そんな自分になりたいです。全ての人に感謝して…。




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